今までの中から印象的であったものを2週間ほどリバイバルします。
原本:2022年9月17日
河内名所図会(享和元年(1801年)刊) 秋里籬島・著、丹羽桃渓・画 前篇下3における「応神天皇陵」の図
国立国会図書館デジタルコレクション
真ん中左が誉田八幡宮の境内、中央上が応神陵で後円部まで階段が延び、お堂が建てられているのがわかります。江戸期には神輿は後円部の頂上にあった御堂まで渡御していたそうです。
後円部のお堂は明治期に神仏分離で破却されましたが、現在は9月15日のこの日だけ、全国で唯一天皇陵の周堤帯(堤)までの渡御が認めてられています。周堤帯の途中までは一般の参拝者も一緒におまいりできるので、古墳ファンにとっても見逃せない秋季大祭です。
2022年9月15日 この日、応神天皇の御霊が神輿により元宮である応神陵にお渡りされます。
現在は誉田八幡宮に祀られていますが、神社というものができる以前から、応神大王が眠るこの前方後円墳には大王の御霊がおられ、守護霊として皆を守ってくれているという祖先信仰があったものと思われます。
18:14 応神天皇陵と誉田八幡宮の鳥居
18:57 神輿渡御を導く灯籠。放生橋を越え、応神陵へ。20時より渡御。
19:27 本殿の塵地螺鈿(らでん)金銅装神輿(実物は宝物殿にあります。国宝 鎌倉時代)源頼朝寄進と伝えられています。
19:59 応神天皇の御霊が神輿に移られます。
20:06 いよいよ出発。
20:09 灯籠の灯りのもと、宮司・巫女に先導され、松明とともに...
20:10 神輿が雅楽の音とともに...
20:13 まもなく応神陵内に進みます。
20:14 篝(かがり)火の焚かれる陵内に入りました。
20:18 神輿は参拝者を従えて、宮内庁が古墳の周囲に巡らせた柵を抜け、普段は非公開となっている天皇陵の領域内にいよいよ入りました。
20:19 暗闇に包まれた木立の中に神輿が静かに据えられました。宮司が祝詞を唱えています。
20:26 白と赤の装束の巫女(みこ)が神楽を奉納します。
20:39 粛々と神事が行われている応神陵。
周りは暗闇に包まれているのでその巨大さは見えませんが、築造に16年(1日二千人の場合)の体積日本一の前方後円墳です。(墳丘長425m、体積143㎥)
20:42 応神陵内での神事を終え、本殿に戻る神輿。
20:50 白装束の氏子が担ぐ神輿が今来た道筋を戻ります。神聖な渡御に心が洗われる思いがします。
21:07 静かに御霊は本殿にお戻りになられました。
以前は国宝の神輿でこの放生橋を渡っていたということが驚きです。
でも、とてもこの傾斜ではそのままでは渡れないので、補助階段をつけて渡ったとのことです。(通常は進入禁止)
江戸後期に造られたこの太鼓橋、実は富田林村(=富田林寺内町)の人が造ったのをご存知ですか?
「石工 富田林之住 / 木村藤兵衛尉藤原國次」と記銘されています。
2014年6月25日 「富田林百景」の館外学習で、宮司さんのご好意により向こう側の欄干を調査させていただきました。その時の写真です。
関連記事:カワセミ-誉田八幡宮の放生橋で 2016.9.20
木村藤兵衛尉藤原國次 2015.1.6
写真撮影:2022年9月15日
2022年9月17日(HN:アブラコウモリH )