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2024年7月16日 富田林百景 館外活動 雨で2回流れ5月の予定が7月に繰り越してしまいました。暑さのせいか参加者も8名と少なかったです。
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3回にわたり富田林の民話のコースを歩きます。今回は喜志の民話。次回は甲田・錦織(北・南・宮甲田・新家・錦織)の民話。3回目は富田林(新堂・富田林・毛人谷)の民話のコースです。ところがこれも雨で流れてきたため、梅雨明けのカンカン照りの中3週連続の民話めぐりとなりそうです。
近鉄 喜志駅東側ロータリー前に集合。
参加者少なく最終8名。この時はまだ日が陰っていて、まだましでした。
本日の行程説明。
まっすぐ南へ
正方位地割地割の説明。
一町(約109m)ごとに東西・南北の水路と道が走っています。
そろそろ晴れだしました。
外環状線を横断、宮前地蔵尊。
程なく美具久留御魂神社(喜志の宮)に到着。
主神は大国主命の荒御魂。
和御魂(にぎみたま)は大和の大神(おおみわ)神社です。
どちらも北緯34度32分、太陽の道にあります。
きょうは下拝殿→上拝殿→「なみだれの梅」新碑→神奈備山「真名井ヶ原」→宮裏山号墳(60m級の前方後円墳)→「なみだれの梅」旧碑と回る予定です。
「夏越しの祓」(なごしのはらい)7/15~/17の茅の輪(チノワ)。
作法に基づき参拝させていただきました。
上拝殿横の「なみだれの梅」の新碑
さらに頂上に向かって登って行くさらに頂上に向かって登って行くと、宮裏山1号墳。蚊の大群の襲撃を受け、足速に退散。
後円部に「奥神籬(ひもろぎ)」の碑
喜志宮裏山1号墳(前方後円墳)の後円部
「奥神籬(ひもろぎ)」と記銘されたこの地は神域で、実は前方後円墳です。
「美具久留御魂神社 神奈備山(裏山)1号墳」
古墳時代前期、4世紀末の前方後円墳 全長58m(富田林では現存する最大級の前方後円墳)。他に後期の円墳が三つ現存します。
また周辺の尾根には中国製三角縁三神三獣獣帯鏡が出土した60m級前方後円墳の真名井古墳(4世紀初、消滅)、鉄製方形板革綴短甲や銅鏡、石釧が出土した鍋塚古墳(4c末~5c初、25mの円墳、消滅)があります。
50mほど進むと民話『なみだれの梅』裏山頂上付近の旧碑。
「なみだれの梅」の碑は神奈備山「真名井ヶ原」の頂上付近にあります。
実際、境内の神宮寺に根来衆がいたため、天正十三年(1585)、豊臣秀吉の根来寺攻めの兵火により社殿を焼失しています。
宮町北にある子連れ地蔵
民話『子連れ地蔵』(子授けや安産の地蔵さん)宮町北の巡礼街道沿いに祠有。
宮北墓地 墓地の奥に喜志の宮の神主と筆子塚が有る。
宮町は喜志の宮を挟んで宮北墓地と宮南墓地が有る。
筆子塚
「播磨守橘朝臣忠賀塚」
なみだれの梅の「青谷 正祐」の墓でしょうか?
河岸段丘面の為、左側水路は溜池からの水で手前に流れている。
右側水路は石川からの水で奥に流れている。
民話『豆狸とこんにゃく板の地蔵さん』平町と梅の里の間にあるそうで詳細不明。梅の里1号公園の木陰で昼食。
平町 安楽寺の「太神宮灯籠」明和元年9月の銘が有、富田林では一番古い灯籠。
民話『石垣あらそい』喜志 詳細不明。水の取り合いで争いが頻繫に有った。
井路の周りには利用する農民の共有の場所に泥揚げ場が有、その場所に水上の有力者が勝手に石垣で水路を固め、泥揚げ場を自分の田んぼに取り込んだので騒動が起こりました。
その他にも「喜志の民話」はたくさんあります。
長文最後まで見ていただきありがとうございました。 2024.07.18 kusu