富田林じないまちのいろいろな風景を見て回りました。今回は「袖うだつ」。
〈南奥谷家住宅〉城之門筋北会所町 19世紀後期建設 屋号:岩瀬屋 生業:味醂醸造
厨子(つし)二階平入り・切妻・桟瓦葺き・忍び返し(一部)・駒つなぎ・袖うだつ・駒寄せ
うだつ(卯建・宇立)は、町家の隣家との境の軒下の両端に〝卯〟の字形に設けられた袖壁です。
ぶ厚い土壁で塗られるので、延焼を防ぐ防火機能をもっていたとされています。 「卯」の字形をしているので「卯建」の名前があるそうです。
〈橋川家住宅〉亀ヶ坂筋一里山町
厨子(つし)二階平入り・切妻/入母屋・桟瓦葺き・駒寄せ・袖うだつ
袖うだつは基本、厨子(つし)二階の両袖に設けられていて、富田林じないまちでは現在16軒の家屋で見られます。
橋川家住宅は左側が切妻屋根でうだつがありますが、右側は入母屋屋根でうだつがありません。
〈青木家住宅〉市場筋堺町
厨子(つし)二階平入り・切妻/入母屋・桟瓦葺き・袖うだつ
ていねいに意匠を凝らしたうだつ。左官職人の腕の見せ所です。
青木家住宅も道路側は建物がないので、入母屋でうだつがありません。
〈松井家住宅〉西筋堺町
厨子(つし)二階平入り・切妻/入母屋・桟瓦葺き・袖うだつ・駒寄せ
松井家住宅も隣家に接しているところ(左)は、切妻で袖うだつがありますが、庭のある側は入母屋でうだつがありません。
〈北野家住宅〉西筋堺町
明治30年代建築? 屋号:新堂屋 生業:木綿問屋 厨子(つし)二階平入り・入母屋/切妻・桟瓦葺き・袖うだつ・忍び返し・駒寄せ・犬矢来 駒寄せと犬矢来で家の周りを防御、「いけず石」も見られます。
隣家に接しているところは敷地的に入母屋にしている余裕がなく切妻屋根が多いのですが、延焼しやすいのでうだつを設けたと思われます。
〈矢野家住宅〉亀ヶ坂筋堺町
本二階平入り・桟瓦葺き・本うだつ
じないまちで唯一の「本うだつ」。大きな防火壁が特徴です。側面だけでなく屋根までしっかり防火壁があります。「本うだつ」は防火機能の高いうだつと言えると思います。
〈森家住宅〉東筋御坊町
厨子(つし)二階平入り・切妻/入母屋・桟瓦葺き・袖うだつ・駒寄せ
富田林じないまちはほとんどが袖うだつですが、美濃市加治屋町のように本うだつの方が多い町もあります。
〈南葛原家住宅 堺筋〉富筋堺町
本二階平入り・切妻・桟瓦葺き・袖うだつ・駒寄せ
富田林じないまちの場合は現在残る江戸期の建物には袖うだつがありません。
現在残っている江戸期の建造物は大きな敷地を持つ有力な入母屋屋根のお家が多いので、うだつを上げる必要がなかったかも知れません。
〈奥田家住宅〉東筋北会所町
厨子(つし)二階平入り・切妻・桟瓦葺き・袖うだつ・駒寄せ
あるいは明治以降に富田林で流行ったのかもしれません。
うだつ自体は『洛中洛外図屏風絵(16世紀)』に描かれていることから、室町時代の京の町家には既にあったようです。
鍾馗さんや犬矢来のように当時の大きな町家、京都や奈良まちで流行ったものが近隣の町家に取り入れられることはよくありますから、富田林も「これはいいね。」と採用したのかもしれませんね。
富田林じないまちは江戸中期の享保年間に大火に見舞われ、町の北側三分の一が焼失しています。
その後防火に対しての意識が高まり、用心堀(防火用水)、「くわえきせる無用」道標の設置、藁葺き・茅葺きから瓦屋根への移行が進んでいきます。その後、この町では一度も大火には見舞われていません。
〈泊や〉市場筋南会所町
厨子(つし)二階平入り・切妻・桟瓦葺き・駒寄せ・袖うだつ
時代は下りますが、うだつもその防火意識の中で生まれてきたのではないでしょうか?
そして、家を新築できるくらいの富裕な家でなければ「うだつ」は付けられなかったことから、「うだつがあがらぬ」という言葉が生れてきます。
〈浅野家住宅 堺筋〉市場筋堺町
厨子(つし)二階平入り・切妻・桟瓦葺き・袖うだつ 中央に花崗岩製ショーケース。
それでは、富田林じないまちの残り全部のうだつをご紹介します。
〈寺元家住宅 堺筋新道〉東筋堺町
本二階平入り・切妻・桟瓦葺き(2階)/本瓦葺き(1階)・袖うだつ
明治になって造られた堺筋伸延の下り坂にできた町並み。
〈竹林家住宅 堺筋新道〉東筋堺町
本二階平入り・切妻・桟瓦葺き・袖うだつ
同じく明治になって堺筋伸延の下り坂にできた町並みの家屋。間口の狭い京町家風の建物が一部現存します。
〈濱野家住宅〉 亀ヶ坂筋堺町
本二階平入り・切妻・桟瓦葺き・袖うだつ
こちらは旧じないまちの中心部にある間口の狭い家屋。
亀ヶ坂筋南会所町
本二階平入り・切妻・桟瓦葺き・袖うだつ
伝統的建造物に景観が調和するように建てられた新しい建物。
袖うだつが上がっています。
〈神谷家住宅〉亀ヶ坂筋南会所町
本二階/厨子(つし)二階平入り・切妻・桟瓦葺き・袖うだつ 新しい建物 前住宅の右隣り。
その右隣、こちらも伝統的建造物に景観が調和するように建てられた新しい建物です。
〈旧田中家住宅〉本町(富田林じないまちの隣町) 国登録有形文化財
明治25年(1892)の建築 厨子(つし)二階平入り・入母屋/切妻・桟瓦葺き・むくり屋根・煙出し・袖うだつ
ここからは富田林じないまちの周辺のうだつを一部ご紹介します。
向かって右側は切妻屋根で袖うだつが上がっています。
〈奥谷家住宅 分家〉本町
厨子(つし)二階平入り・入母屋/切妻・桟瓦葺き・八棟造り(三重ね)・袖うだつ・駒寄せ・犬矢来
こちらも向かって右側は切妻屋根で袖うだつが上がっています。
〈田中家住宅 本町通り〉本町
厨子(つし)二階平入り・切妻・桟瓦葺き・袖うだつ
駅からじないまちに至る本町通り。
明治31年(1898)に河陽鉄道(現近鉄)富田林駅が開業し、次第に家屋が建ち並びました。
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