2018.3.2.12:33 スタッフのみなさんのお見送りをあとに、次の目的地へ。
「河内」のバス停に行くまでの間の道中、お地蔵さん
でっかいお地蔵さんが居られました。
石囲いされた立派な記念碑のようですが、何の碑かはわかりませんでした。
明治二十九年五月と見えます。
ごく普通の献燈(神前型)
こんなところに伊勢灯籠(太神宮夜燈)がありました。
灯籠のパーツが3つ(笠・火袋・中台)足りませんが...おそらく、地震か何かが原因で
壊れたと思われます。
旧河内小学校跡
現在はさくら坂に移転。
道路の脇の法面に露頭となっていた領家帯花崗岩層
金剛・葛城山地の隆起により地表に顔を出しています。
弘川寺 真言宗醍醐派の準別格本山
「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ (山家集) 」 西行法師終焉の地
本尊の薬師如来像 薬壺をお持ちです。
少し坂を上がったところに西行堂 似雲法師は、西行の墓をこの寺に尋ね当て、当山に庵を結んで、西行堂を建立。
茅葺きの屋根になぜか1円玉がたくさん。雨が降ると落下。
境内にも領家帯花崗岩の巨石が見られます。
移動は路線バスの金剛バス。いいですね。
緑のカラーが目印です。
今度は養鶏場の見学です。富田林市別井にある「さしみ卵」の寺西養鶏場へ。「さしみ卵」は富田林ブランドに認定されています。
年中無休!毎日鶏さんは卵を生むため、個人で経営されている養鶏場は休みなしですね。
現地に行けば、その日の朝に元気な鶏が生んだ無洗卵の「さしみ卵」を求めることができます。
ここは6軒ほど養鶏場が集まっており、他でも直売されているところもあります。
元気な鶏さん
5000羽の鶏がいるそうです。80%は卵を産むそうですので、1日4000個、手作業で朝に採卵されています。
天候が悪いとストレスで採卵率が落ちるとのこと。
赤い鶏には赤い卵(赤玉)が、白い鶏(白色レグホンなど)には白い卵(白玉)が生まれます。
また卵黄の色については、鶏の食べているエサに影響されるそうです。
トウモロコシをたくさん食べるとより黄色くなり、穀物(米・麦)を多く食べるとより淡い色になるとのこと。
青い色素のものばかり食べると、青っぽくなるそうです。青いのはいやですね。
ご主人のお話では、3日ずつ食べ分けさせると、黄身がレインボウ色の層になるそうです。いやですね。
見学中に突然、いっせいに大声で鶏が鳴きはじめました。何かを警戒しているようです。
ご主人が様子を見に行かれました。本来、ご主人が行くと鶏たちが安心して鳴き止むそうですが、なかなか鳴き止みません。
見ていると大きなアオサギが飛び立ちました。「こいつや~」
採卵した卵。これからパック詰めにします。
ご主人のお話では無洗卵のため、卵表面を保護している粘膜層 クチクラ層がとれていず雑菌の侵入を妨げてくれるそうです。
このため長持ちし、3週間以上生で食べれるそうです。
お土産の卵は、すべて玉子かけご飯でいただきました。家族みんなでいただきあっという間になくなりました。おいしかった。
前編でいただいた玉子かけご飯もここの玉子です。生んで3日目くらいの玉子が、臭みも飛んで一番おいしいそうです。
次は歩いてトイレ休憩でお世話になりました「かがりの郷」。
展示されていたのはなんと!特別展示の「畑ヶ田遺跡」の胞衣壷(えなつぼ)と陶製硯(すずり)!
この遺跡では大きな掘立柱群の跡も見つかっており、飛鳥~奈良時代の役所跡と考えられています。
私は新堂廃寺・お亀石古墳と後の地方官の役所を結び付ける大きな手掛かりになると考えています。
次の訪問先は、また金剛バスで移動し、河南町白木の「河南きのこ園」さん。
富田林周辺でも家族でしっかり経営されている農家はたくさんあるのですね。
おいしそうに成長したヒラタケシメジ
培養室
培養室は室温を22度に保たれており、通常は真っ暗。
きのこの菌が1か月以上かけて、培地の栄養を吸収していきます。
この培養室に入る前に、 培地づくり→ビン詰め ・殺菌→冷却→植え付けなどいろんな工程を経てここにやって来ます。
芽出し室で育つエリンギ
このヒラタケシメジのほか、ブナシメジも栽培されています。
シイタケも原木栽培だけでなく、ブロック栽培もできるんですね。
ミストが充満した芽出し室。
温度・湿度と空調管理が大事やそうです。
普段パクパクと食べているキノコですが、大変な時間と手間が掛かって栽培されていると思いました。
これからは、もっと味わい噛みしめて食べたいと思いました。お土産のキノコ佃煮、あっという間になくなりました。
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