今までの中から印象的であったものを2週間ほどリバイバルします。
原本:2015年2月12日
元禄時代に綱吉は国家鎮護のため文京区湯島に霊雲寺を創建しました。柳沢吉保の庇護の下、河内長野延命寺の浄厳(じょうごん)が招かれて初代開祖となりました。
浄厳の死後、弟子の連体(れんたいーのちに河内長野の地蔵寺の住職となる)が二代目継承を断り、彼方出身の慧光が二代目となりました。
この慧光(えこうー恵光の漢字になっている場合もある)さんが後に東大寺長老となり、東大寺の戒壇院を再建、大和尚(だいわじょう)と尊敬されました。
出身地の彼方でも蓮花心寺の住職となり、隆盛を極めたようです。お墓も霊雲寺、東大寺勧学院、彼方と3つもあります。
蓮花心寺の絵図(上方にある白山権現は春日神社に合祀されています)
彼方嶽山のふもと、現在はミカン畑
春日神社の境内に残る現在の白山権現
慧光大和尚の肖像画ー全身座像掛軸の部分
(霊雲寺では椅子の中の龍の絵柄を今でも使っているという)
霊雲寺妙極院のお墓ー「霊雲第二世慧光大和尚」
東大寺勧学院のお墓ー「當山如法律中興大和尚慧光長老」ー台座の銘は「享保一九年(1734)11月4日示寂」
彼方のお墓ー「當寺中興慧光大和尚」ー台座の銘は「享保一九年甲寅11月4日子刻掩化」
霊雲寺六代目極妙和尚のお墓も蓮花心寺三世としてここにあります。
数年前に東京の霊雲寺の管長はじめ幹部一行が来訪し、彼方の慧光大和尚のお墓にお参りして、読経、供養をしました。
東大寺戒壇院と横にある宝篋印塔、「享保第十七年ーーー長老慧光謹誌」の銘が入っています。
有名な四天王の像は戒壇院の落慶のときに2月堂から移されたのでは?
東大寺にあるお位牌ーお墓の銘と同じ「當山如法律中興大和尚慧光長老」
(ボヤを出したときに少し焦がしたらしい)
蓮花心寺の宝物や宝篋印塔などはのちに滝谷不動尊に渡っています。
瀧谷不動尊の境内にある宝篋印塔ー「河南錦部郡彼方邑如法山蓮華心寺」の銘が入っています。
また観音堂の如意輪観音はもと蓮花心寺のもの。
(上記資料の一部はT氏、F氏より、なお詳しくは「彼方小学校創立百周年記念誌」に載っています。)
(by ken)