喜志五郷(平・宮・大深(おうけ)・桜井・川面~江戸期) 平の「太神宮常夜燈」は錦織 聖音寺の「太神宮」灯籠とともに富田林市域において最古の民衆信仰の灯籠です。
明和元年(1764)の江戸中期(259年前)灯籠です。
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基礎部分の四隅にかなり深くあけられた盃状穴があります。盃状穴とはあとの時代に民衆の手であけられた「さずかり信仰」で、天から授かるすべてのもの、天水(自然の恵み)、天運、子宝、安産などを祈願して人為的にあけられました。
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富田林には伊勢灯籠が25基ありますが、平町の「太神宮常夜燈」は錦織 聖音寺 「太神宮」灯籠とともに富田林市域で最も古い伊勢灯籠です。明和元年(1764)に建造され、すでに259年が経過しております。
富田林市域の民衆信仰による灯籠は全部で34基ありますが、すでに江戸中期(宝永1704~天明1788)に14基(すべて伊勢灯籠)作られ、明和期(1764~1771)にはすでに7基存在しています。
比較的早い時期に作られたことは、富田林市域が江戸中期の早い時期から民衆の力があったということであり、その背景としては木綿や菜種などの換金作物を生産し、富田林や大ケ塚、古市など在郷町との生産と消費、流通関係がうまくいき、相互に栄えたことがうかがえます。
江戸後期(寛政1789~嘉永51852)の民衆信仰による灯籠は12基と少し少なくなります。これは寛政期や天保期の緊縮財政改革が影響しているのかもしれません。特に資料で見る限り、酒造業は減酒令や運上金の値上げで大きな打撃を受けているようです。
しかし伊勢灯籠が4基と激減し、金毘羅灯籠5基、愛宕山灯籠1基、弘法大師灯籠1基と種類が増えていきます。これは村に2つ目の民衆信仰の灯籠を作るときに同じ伊勢灯籠を避けたことと、お伊勢参りのほか、金毘羅さん、高野山などの参詣も盛んになってきたことが考えられると思われます。
幕末期(嘉永6黒船来航1853~慶応1867)には2基と少なくなってしまいます。明治以降3基、年代不明3基
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富田林市域の大字図 旧村の場所はこちらを参照してください。
平は喜志に属します。(喜志五郷)
富田林市には民衆信仰の石灯籠が34基あります。そのうち「太神宮灯籠(伊勢灯籠)」が25基(74%)と非常に多く、次に「金毘羅灯籠」が5基(15%)と続きます。そのほか、愛宕山灯籠や大峯山上常夜燈、秋葉大権現灯籠、弘法大師夜燈が各1基あります。
*この記事は「とんだばやし灯籠めぐり」(2018.3.7 「富田林百景+」の仲間たち)より引用したものです。
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