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Channel: 富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」
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教科書の落書き

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吉祥天像(部分) 浄瑠璃寺

お姉さんが古い私の教科書に「こんな落書きみつけたで~」とわざわざ持ってきてくれました。50年近く前のことなので、書いたことは全く覚えていません。 たぶん中学三年生の頃だと思います。

如意宝珠というお宝の玉が、う〇ちだったら恐いです。

 

 鑑真和上像 唐招提寺

鑑真様、唐招提寺様、ごめんなさい!鑑真和上がまた目が見えたらという想いで書いたんだと思います。

 

源頼朝像 伝藤原隆信 神護寺

強装束、束帯姿の衣の中身はどないなっているのか、スーパーで買ったエビの天婦羅の中身はどうなっているのかのつもりで書いたんだと思います。頼朝さん、河内源氏の出身なのにごめんなさい。

〈画面をクリックすると中身が見えます〉

現在本人は非常に反省しております。お許しください。

2018(ハ)年8(ハ)月8(ハ)日 (ハハハの日)

( HN:アブラコウモリH )

 


30kmも飛んできた紙風船

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 2018年8月7日 16:26 富田林市伏見堂

富田林市伏見堂にある田中4号墳の見学に行こうと歩いていたら、緑の紙風船がしぼんだ状態で落ちていました。

紙風船に付いていたメモには連絡先が「8月6日 大阪市東淀川区東中島...」となっていました。

ということは、1日で30kmも飛んできたことになります。 

 

 よく見ると風船の先に、「こまっているひとにこえをかけたいです。」と書かれていました。

その裏には「8月6日の平和人権登校日」に平和に対するメッセージをエコ風船に託して飛ばした旨が説明されていました。

それにより、大阪市立の小中一貫校「むくのき学園」の生徒さんが飛ばしたものと解りました。

むくのき学園は統合前の中学時代に大阪府知事の橋下徹氏が通った学校でもありますね。

 

 落ちていた場所は芝生や木々におおわれ、自然いっぱいのところです。

 

 古墳への入口の門には「古への道」、「第十六期生 卒業記念」と書かれ、ここから田中4号墳への遊歩道となっています。

 ここは初芝富田林中高校の構内のようです。

 

 どうもこの風船は30kmの距離を1日で飛んできたようです。エコ風船といえども結構飛ぶんですね。

さっそく、むくのき学園 NO:2205の生徒さんへは「メッセージが届いたよ!」の返事を紙風船とともに送ることにしました。

 

〈到着時のデータ〉

◇発見地点:富田林市伏見堂 田中4号墳付近

◇発:大阪市東淀川区東中島4-8-38 むくのき学園(標高2m)から

◇着:富田林市伏見堂 田中4号墳付近 (標高126m)

◇◇到達距離:30.1km

 

 田中4号墳 富田林市伏見堂 にある6基の古墳からなる田中古墳群のひとつ

1号墳は一部が壊され、2号墳・3号墳は消滅していますが、4号墳は周りが整備され、全体の形状がよくわかります。

6世紀後半頃のこの地域に住んでいた豪族のお墓であるとのことです。古墳は直径が約30メートル、高さ約5メートルの円墳です。

この古墳は「古への道」の門から100mくらい遊歩道に従ってすすんだところにありました。

 

 古墳の南側に開いた横穴式石室です。入口の大きな天井石が印象的ですね。

 説明板もあり、遊歩道も整備されていて見学しやすい古墳でした。

 

 羨道の長さは4.9メートル、幅1メートル、高さ1.5メートル。

玄室の長さは4.25メートル、幅1.55メートル、高さ1.6メートルというしっかりした横穴式石室。なお、石棺はありませんでした。

 富田林市の南部、石川右岸の古墳群はこの田中古墳群(4号墳は標高121m)のほかに、6世紀前半の1号墳を擁する西野々古墳群(富田林市伏見堂 4基 1号墳は標高86m)・嶽山古墳群(富田林伏見堂 群集墳 嶽山山腹西斜面)があります。

この伏見堂にある3つの古墳群は時代においても、築造された場所(標高)においても異なりますが、横穴式石室を持つという共通点(西野々古墳は未調査)もあるようです。

同じ豪族の変遷にによるものか、時代は異なりますが、別の豪族が住み分けたのか興味深いところです。

関連記事:西野々古墳群 2014.2.24.

2018年8月9日 

( HN:アブラコウモリH )

 

葛城古道をゆく 3 極楽寺→南郷

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2018年7月31日 14:18 吐田(はんだ)極楽寺 より南郷(なんごう)へ。

前回の葛城古道をゆく2からの続きです。

 

ここから出発。

特徴のある鐘楼門 から出発。佛頭山極楽寺は、浄土宗のお寺です。

 

 14:20 すぐ近くの民家では。

鬼瓦に竜。龍神は水をつかさどる神だから、火難除けということでしょうか。

 

 14:21 立派な花崗岩の石垣。

この地域は領家帯の花崗・片麻岩帯にあるので取れる石は花崗岩ばかりです。そのため石垣も花崗岩。

 

 14:22 遠く奈良盆地を望む。畝傍山、その左に重なって小さく耳成山。この辺の標高274m。

 

 14:29 田んぼのむこうに畝傍山。

 

 14:30 「夏が過ぎ、風あざみ...」 井上揚水の歌が浮かびます。

 

 14:45 ミツバチの巣箱

 

 

 14:46 極楽寺ヒビキ遺跡に着きました。

5世紀前半の葛城氏の居館跡と言われています。古墳時代としては日本最大級の規模の居館跡で、大和が見下ろせる標高240mの三方が崖に囲まれた丘陵にあります。

当時、ヤマト王権の大王家と婚姻関係を結び、外戚として日本最大の大豪族であった葛城氏の関係施設とのことです。(当時、県立橿原考古学研究所 発表)

〈空中写真は画面をクリックしてください〉*Google Earth Pro

 

今は埋め戻され、区画整備され美田に生まれ変わっています。

発掘(2004年10月~2005年2月)当時には、広大な土地に石張りの堀、と巨大な建物跡が出土しました。

当時の現地説明会には千人以上の考古学ファンが詰めかけたと言います。(2005年2月26日 日経新聞夕刊)

北側(画面でいえば、中央奥)に5間×5間の中心的な掘立柱建物(67坪)があり、身舎(もや)部は2間×2間の特異な板状柱で柱痕跡が赤い土に置き換わっていました。これは火災の跡で、この建物に限らず、遺跡の建物や塀はほとんどが焼失しているそうです。時代から見て、日本書紀にも記載されている「雄略天皇に焼打ちを仕掛けられた葛城円(つぶら)の居館」ではないかという説もあります。

〈発掘時の空中写真は画面をクリックしてください〉

 

 金剛(左)・葛城の尾根と美田

今は何もなかったようにセミの声が響きます。

大型建物を含めた区画は出土遺物が少ないこと。遺物は祭祀儀礼で使う高坏が多く、日常生活で使う土器は少なかったといいます。

あまり生活臭が感じられない。つまり、日常生活の場とは考えにくいこと。これらのことから、大型建物を含めた区画は一般的な住まいというより祭儀や政務をおこなった公的な性格をもつ施設と考えられるようです。

また、柱が丸柱ではなく板状の柱を使用していた点については、室町時代にノコギリが登場するまでは大半は丸柱で、手間のかかる板柱の使用は居住空間でなく、祭祀・政務用などの特別の空間として利用されていたことがうかがえるといいます。同じ形の家形埴輪が3km北東の宮山古墳より出土しています。

宮山古墳は葛城氏の大首長の墓とされ、出土した家形埴輪の8本の柱はすべて板柱で、配列もヒビキ遺跡の建物跡と同じであったといいます。

宮山古墳出土の家形埴輪(橿原考古学研究所蔵)

〈復元想像図はこの家形埴輪を画面をクリックしてください〉

 

近くに民家はなく、崖の周りは木々におおわれています。(パノラマ映像) 

 葛城氏は当時葛城地域の鴨氏など各首長の連合体であったといわれ、朝鮮半島の鉄器の製造など最先端技術をもった渡来人を支配下に治め、強大な経済力・資金力を持っていたようです。

さらに、日本書紀によれば葛城襲津彦の娘、磐之媛(いわのひめ)が仁徳天皇の皇后になって、履中・反正・允恭天皇の母親であることを始め、仁徳天皇~仁賢天皇までの9代の天皇の内、8人が葛城氏出身者を妃や母親になっていることからしても、外戚関係を深め、政治力をもっていたと言えます。

つまり、政治力、資金力、外交においても大王家に匹敵する力があったのではないでしょうか。

〈当時の新聞報道は画面をクリックしてください〉

 

 

 15:01 柿畑越しに大峰山脈が見えます。

中央奥の左より、山上ケ岳、稲村ケ岳、八経ケ岳の順。

 

 15:29 水祭祀の遺跡が見つかった南郷大東(おおひがし)遺跡

 南郷大東(なんごうおおひがし)遺跡は、幅6mほどで深さ1.2mほどの小川を石積みでせきとめて水を溜め、そこから木樋で小屋に導水して水の祭りをしていました。小屋の周りは柵で囲まれ、導水木樋の両側に人々が集まって笛や太鼓を鳴らしながら、神を鎮める祈りを捧げます。

〈画面をクリックすると地図が見えます〉

 

今は埋め戻されています。

小屋周辺からは祭祀用具や多量の「焼けた木片」があり、祭りは夜に行われたようです。

現在はかなりの傾斜の坂道に区画整備された広い面積の棚田が続いているといった状況です。

田んぼの傍らの道沿いに細い水路が敷かれていました。

 〈画面をクリックすると発掘当時の様子が見れます〉

 

当時話題になった遺跡は美しい田んぼに戻りました。

〈画面をクリックすると復元模型が見れます〉  *橿原考古学研究所復元模型

 

 15:45 南郷地区に入りました。 ホウロウ引きの広告板が印象的。

 

 15:49 南郷公民館 さりげなくかなり古そうな花崗岩製の五重石塔があります。

 

 さらに、十一重石塔(たぶん元は十三重石塔)もありました。

 

 さらには、六重石塔(たぶん元は七重石塔)も...

 

 15:50 ここには鶏足寺があったということです。

 

 15:52 南郷地区にある住吉神社です。公民館のななめ前にあります。

江戸前期、承応二年(1653)の棟札があるそうです。

 

 拝殿  大阪住吉大社の分霊を勧請してと言われています。

 

 多くの石灯籠が奉納されています。

 

 神社の入口に文政四年(1821)に建てられた大きな太神宮灯籠(伊勢灯籠)があります。

 

 正面に「太神宮」と記銘されています。

太神宮とは皇大神宮(伊勢神宮)のことです。

 

 16:15 やはり民家の石垣は花崗岩オンリーです。

 

 16:19 丘陵の斜面に棚田が開け、葛城山の大きな山塊が見えます。

 

 16:21 はるかに遠くかすんで若草山が見えます。葛城氏が栄えた時代は、平城京も藤原京も、飛鳥の都もありませんでした。

 

16:34 南郷の村の坂道を下ると、このあたりが南郷安田遺跡になります。

ここでも葛城氏と思われる高層祭殿らしい二重構造の建物跡が見つかっています

丸柱を用いた5世紀前半ごろの大型の掘立柱建物跡で、権力者や部下が集まる実務的な場所だと考えられてます。

〈画面をクリックすると空中写真が見えます〉*Google Earth Pro

 

極楽寺ヒビキ遺跡、南郷大東遺跡、南郷安田遺跡、これらの南郷遺跡群は1km四方に固まって存在し、葛城氏の本貫地と考えられています。平成4年(1994)よりの橿原考古学研究所による県営の圃場整備事業に伴う事前の調査として調査が続けられています。

今回ご紹介した3つの遺跡のほか、南郷遺跡群は首長の居住地(多田桧木本遺跡)、武器生産をおこなった特殊工房(南郷角田遺跡)、大型倉庫群(井戸大田台遺跡)、手工業生産を指導した親方(中間)層の居住地(南郷柳原遺跡・井戸井柄遺跡)、鉄器生産・玉生産・窯業生産・ガラス生産など盛んな手工業生産をおこなった一般住民の居住地(下茶屋カマ田遺跡・南郷千部遺跡・南郷生家遺跡・南郷田鶴遺跡・佐田柚ノ木遺跡・佐田クノ木遺跡・林遺跡・井戸池田遺跡)、土器棺墓からなる一般住民の墓地(南郷丸山遺跡・南郷岩下遺跡)などです。
 遺跡の現状は、圃場整備工事が施工され、水田となっていますので、現地ではその遺構・遺物を見ることはできません。(橿原考古学研究所友史会ブログより引用)

古墳時代に大王家に結び付き、時代の最先端を担っていた地域です。

〈画面をクリックすると出土した掘立建物の丸柱が見れます〉*橿原考古学研究所のブログより

 

 16:45 この後、名柄に向かいます。

静かな農村地帯ですが、1500年以上前に時代の最先端の技術を備え、大王家と深く結びついて日本の将来に大きく関わった集団が生活をしてことを想うと感慨深いものがあります。

歴史は深く、不思議でおもしろいですね。

関連記事:葛城古道をゆく1 高鴨神社の灯籠 2018.7.5.

              葛城古道をゆく2 髙天彦神社周辺 2018.7.24.

写真撮影:2018年7月31日 

2018年8月10日

( HN:アブラコウモリH )

 

閲覧数 100万人突破!

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本日、閲覧数が100万人を突破しました!(1000792回)

富田林市の中央公民館の市民大学講座「富田林百景+(プラス)」のブログとして、2013年5月21日の開設以来ここまで歩んできました。 

最高訪問者数:881人/日、週間:4218人/週間

最高閲覧数:4140回/日  週間:21299回/週間

最高順位:357位、      週間:761位/週間

ひとえに皆様のおかげです。いつも閲覧いただきましてありがとうございました。

 

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開設して1912日。1日平均136人の方に見ていただいて、お一人平均3.8回(閲覧数平均523PV)サイト内でページにアクセスされています。

なお、訪問者数は260194人(8/14現在)で、富田林市の人口の倍以上の方に見ていただいています。これからもユニークな富田林市と周辺の情報をお伝えします。

2018年8月15日  ( HN:アブラコウモリH )

 

白鷺公園の蓮

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 2018.8.15.17:57 堺市東区白鷺町1丁 白鷺(しらさぎ)公園

 きょうはお盆。真夏の照りつける太陽の中で、なにやら涼しげな蓮の花

 

 おうちの仏壇の盆提灯にも描かれています。

 

 「蓮は泥より出でて泥に染まらず」といいますが、泥水の中から生じ清浄な美しい花を咲かせる姿が仏教では仏の智慧や慈悲の象徴とされ、様々に意匠されています。

 

  如来像の台座とか、新堂廃寺の瓦とか、石灯籠の基礎の部分とか、いろんなところにこの蓮華が使われていますね。

 

おおきな蓮の葉

 

 夏場は池一面蓮で覆われています。

 

 公園内の遊水池、但馬池は、こんな感じです。(パノラマ写真)

もうそろそろ花のピークが過ぎましたので、見に行かれる方は早い目に...

 

 優雅で清浄な蓮華(蓮の花)

関連記事:白鷺公園の花菖蒲 2018.6.1.

              黄檗宗 智福山龍雲寺の蓮 2016.7.21.

写真撮影:2018年8月15日

2018年8月16日  ( HN:アブラコウモリH )

  

葛城古道をゆく4 井戸、佐田地区

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 2018.7.31.16:51 

今回は少し前になりますが、7月31日前回の南郷に続き、葛城古道を南から北に向かって、井戸、佐田地区を歩きました。

井戸の集落の南側の入口に地蔵さんと庚申塚がありました。

 

地蔵さんの右隣りには庚申塚。その右脇には丸い石。これは何を意味するものでしょうか。

村の入口にあるので賽の神でしょうか。

 

 逆の方向(北側)からみるとこういう風に並んでいます。

 

 17:01 井戸の町なかに入り、高木神社に着きました。

祭神は春日社として祀られる四柱の神ということです。

 

お祭りは 10月9日に一番近い土曜日に行われる秋祭り、「ススキ提灯」。

 

 たくさんの石灯籠がありました。

 

背の高いイチョウ 

 

 ここにも太神宮灯籠(伊勢灯籠)がありました。

 

 正面の銘は「太神宮」 天保二年(1831)の建之。

 

 本殿前の木製の狛犬 「おいらが守ったるさかいに...」

 

 本殿の周りに丸石。これは鬼門の方向(東北)。

 

 ほかの角(すみ)にも丸石。厄除けの意味の賽の神なのでしょうか?

 

17:21 少し行くと佐田地区 春日神社に着きました。 

 

神社の左脇に2つ並んだ石灯籠。 

 

 右側は「太神宮夜燈」、「佐田村中」。天保九年(1838)に造られました。

 

 もうひとつは「愛宕山奉(?)塔」。火伏せの神様です。

 

 空き缶利用のロウソク立て。

 

 神社の前に大きな石碑

「南無阿弥陀仏...」までは読めますが...六字名号板碑のような感じです。

ところで右下に年号が見えます。「大永七年」でしょうか...

 

 「大永七年」?

「大永七年」なら、なんと室町時代(1527)の銘!

 武田信玄、柴田勝家、千利休が生まれた年ですよ。

 

 境内の巨大な樹木

 

それと大きな切株に、新たな若木。

 

石垣の石も大きい。

 

佐田の町なかを北に抜け、金剛・葛城を峰を背に、葛上(かつじょう)中学校正門前のあるお地蔵さん。

 

川を越えればまもなく名柄の町。次回に続きます。

関連記事:葛城古道をゆく1 高鴨神社の灯籠 2018.7.5.

              葛城古道をゆく2 髙天彦神社周辺 2018.7.24.

              葛城古道をゆく 3 極楽寺→南郷 2018.8.10.

写真撮影:2018年7月31日 

2018年8月18日

( HN:アブラコウモリH )

 

葛城古道をゆく5 名柄の町

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 2018年7月31日 17:33 次は名柄の町へ。葛城古道を南から北へ進んでいきます。

 

 17:38 最初に迎えてくれたのは、おおきく立派な太神宮灯籠(伊勢灯籠)。

 

 富田林ではなじみの神前型。竿部分に「太神宮」の銘。

 

 「天下泰平」 文化四年(1807)に造られました。

 

 17:41 灯籠の斜め向かいが造り酒屋の葛城酒造(久保家)。

 

 杉玉が上がっています。

 

 17:45 中村家住宅前、ここで当て曲がっています。

 

 17:47 国の重要文化財 中村家住宅

御所市の中では、現存する最も古く、かつ重要な建築のひとつといわれています。中世吐田(はんだ)城主 吐田越前守の子孫、中村正勝が慶長13年(1608)に名柄村の代官になっており、その頃に建てたと推定されています。国の重要文化財。代官屋敷のような建物。建て方が明らかに他の伝統的建造物(厨子二階入母屋〈または切妻〉平入り家屋)とは異なりますね。

17:52 少し北に行くと、「本 池口」と表札の上がった平入り部分の間口が長い厨子二階切妻建物。

ここは作家であり元経済企画庁長官でもあった堺屋太一氏のご実家でもあります。

「巨人・大鵬・卵焼き」、「団塊世代」は彼のことば。

 

 17:52 玄関の木が印象的な家屋

 

 18:01 郵便名柄館

資料館&カフェに改装された旧名柄郵便局。築100年余りの大正ロマンが感じられる建物です。

 

 火曜日・水曜日はお休み 営業時間11~16時

 

 18:04 ここも当て曲がっています。 写真左が水越街道、右が葛城古道(名柄街道)。

ここが葛城古道(名柄街道)と大阪府の千早赤阪村森屋から水越峠を越えて長柄神社前の通り、下街道に至る水越街道の交差地点になります。

 

 18:06 式内社 長柄神社 

「式内社」は延長5年(927)にまとめられた『延喜式』に記載されている古社で少なくとも平安時代には存在したことが確認できます。

長柄神社は平安時代どころか、『日本書紀』天武天皇9年(680)9月9日条において記述があります。天武天皇が「長柄杜(ながらのもり)」において騎射(馬に乗って矢を射かけること)を催したと書かれています。

『古事記』では「葛城長江」の名称が見えますが、「長江(ながえ)」と「長柄(ながえ/ながら)」は同義語であって葛城山の長い尾根を意味するといわれ、『長江』→『長柄』→『名柄』と代わっていったのかもしれません。「長柄」と表記すると天理市の長柄町と混同されるので、今は「名柄」になったとかいう説も...

 

本殿の庇(ひさし)の裏板に、龍が描かれています。「八方睨みの龍」のような雲龍。

軒先を支える垂木(たるき)がないのも珍しいですね。

 

 

使用用途がよくわからない建物(東屋風) かなり傷んできているようです。鐘楼ではなさそうです。

 

 献燈 まだ新しいこの石灯籠は平成24年(2012)に建之されました。

 

  「堺屋太一(池口 小太郎)建之」とあります。

 

 18:07 樹齢800年といわれる楠や欅(けやき)がそびえたつ大和棟の建物。大庄屋であった末吉家。

 

18:13 御所市豊田 民家の前の水路の水場 

 

 ここから先は8月21日に再度訪れました。15:35 御所市豊田 

名柄街道をすこし東に下った坂道に灯籠をかこった玉垣。なんだろうと近づいてみると...

 

 真ん中の大きい神前型の灯籠は「太神宮」灯籠でした。

 「太神宮灯籠」とは、伊勢灯籠のことで、江戸中期以降、庶民に普及した「伊勢参り」、「おかげ踊り」の流行とともに、その街道筋や、町の中などに建之されました。

太神宮灯籠に興味のおありの方は、次のブログを参考にしてください。

〈富田林百景ブログより〉

金岡神社の太神宮灯籠 2016.8.24. 南河内で一番古い太神宮灯籠 3 2016.9.6.  

 15:40 灯籠から少し下ると豊田公民館

ここもすごいですね。価値ある板碑がたくさん並べられています。公民館は新しいですが、古いものをこうして後世に残していく心に敬服いたします。

銘が風化して読みづらくなっています。わかるのは、自然石を使用している碑(右から2番目)で、嘉永三年(1850)の「南無阿弥陀佛」、六字名号碑ですね。

半鐘も玄関わきに吊るされていました。

 

 15:45 遠くに大和三山が見渡せる田園地帯。

この辺の土地割は、空中写真では条里地割の痕跡が読み取れるので、開発は相当古く古代、奈良時代にさかのぼる可能性があります。

 

 15:48 片上醤油さん 今は珍しい村の醤油屋さんです。

昭和6年に創業され、奈良県産大豆を主原料として杉の大桶の中で自然の季節のままに発酵熟成する、天然醸造の手法を守っています。もちろん食品添加物は使わない無添加無調整の醤油です。(片上醤油ホームページより)

 

 売店奥に、醸造に使用する木桶がありました。

呼びボタンを押すと、別の蔵で作業中の蔵人でもあるご主人が来られ、製品の説明を受けながら「天然醸造醤油」と「自家用たまり醤油」をおみやげに購入しました。

 

 16:16 葛城一言主神社参道に着きました。立派な鳥居と灯籠が迎えます。奥は森脇公民館。

 

 公民館の脇にはいろんな石碑

 

半鐘 もありました。

 

16:21 葛城一言主神社に向かう田んぼに虹のかけ橋 

「葛城古道6 一言主神社と九品寺」に続きます。

関連記事:葛城古道をゆく1 高鴨神社の灯籠 2018.7.5.

              葛城古道をゆく2 髙天彦神社周辺 2018.7.24.

              葛城古道をゆく 3 極楽寺→南郷 2018.8.10.

                           葛城古道をゆく4 井戸、佐田地区 2018.8.18.

写真撮影:2018年7月31日、8月21日

2018年8月23日

( HN:アブラコウモリH )

 

富田林寺内町燈路2018

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2018年8月25日(土)第15回じないまち四季物語2018「夏」【富田林寺内町燈路】がじないまち四季物語実行委員会主催で開催されました。当日は訪問者も多くかなり混雑しておりました。その一部を紹介します。2018.08.25撮影

 

2018.08.26 kusu

 

 

 






狭山池からの日の出 2018.8.26.

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2018.8.26.5:28 日の出真近の狭山池

 

5:32 早起きアオサギ

 

 5:39 日の出

 

 5:40 すぐ露光オーバー。もう撮れません。

 

 5:50 しかたないので、アオサギくん

 

5:48 パノラマ撮影 狭山池

 

5:55 涼しいうちに...(そう涼しくないが...)。

  毎年2回、4月13日~23日と8月21日~31日ころに見ることができます。

          4月は北側から、8月は南側からになります。

関連記事:【長編】二上山からの日の出ー狭山池 2018.4.

       二上山からの日の出-狭山池 2017 2017.4.28.

       二上山からの日の出-狭山池 2016.5.3.

  2018年8月26日 ( HN:アブラコウモリH )

 

狭山池からの日の出 2018.8.27.

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 2018.8.27.5:29 龍神社と月

 

 5:25 40倍ズームの満月

 

5:40 龍神社と雲に隠れているであろう太陽

 

5:47 雲間からの“一瞬”の日の出

 

5:51 天から射す日光 

 

5:53 黄金取り(撮り)放題

 

5:45 きょうも早朝よりウォーキング

   毎年2回、4月13日~23日と8月21日~31日ころに見ることができます。

          4月は北側から、8月は南側からになります。

関連記事:狭山池からの日の出 2018.8.26. 2018.8.27.

       【長編】二上山からの日の出ー狭山池 2018.4. 2018.5.8.

 2018年8月28日 ( HN:アブラコウモリH )

 

狭山池からの日の出 2018.8.28.

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 2018.8.28.5:16 日の出前 正面の朝焼けは金剛山。

東側(左側)にうす雲が掛かっているのが気がかり...きょうは日の出が見れるかな?

 

 5:14 日の出前の金剛山

 

 5:26 部分月食

 

 5:32 龍神社の夜明け

 

 5:39 日の出 うす雲で輪郭がはっきりしない。

 

 5:42 すみません。こんな感じでご了承ください。

 

 5:43 洪水吐(こうずいばき)→左下の丸い部分

 洪水時においてダムの安全を確保する目的で設けられる放流設備(簡単に言うと、大雨で池の貯水量を越えた場合、堤が決壊する恐れがあるので、満水を越えると余剰の水を逃がす設備。大きなダムやため池には必ず設けられる。)

 

 5:45 きょうはあきませんでした。

 

 6:08 気を取り直して、あべのハルカス!

標高300mは富田林でいうと、金胎寺山、PLの塔(大平和祈念塔+羽曳野丘陵)と同じ高さ。

 

 6:12 狭山池北堤より和泉山脈を望む。

 

 5:57 取水塔と16.7夜の月

 

 6:02 きょうも思い思いの朝の散歩

   毎年2回、4月13日~23日と8月21日~31日ころに見ることができます。

関連記事:狭山池からの日の出 2018.8.27. 2018.8.28.

狭山池からの日の出 2018.8.26. 2018.8.27.

2018年8月28日 ( HN:アブラコウモリH )

 

でっかい入道雲

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 2018.8.29.18:31 富田林市常盤町16 富田林小学校付近 

 帰宅途中、葛城山のむこうにでっかい入道雲を発見。しかも茜色に染まった夕焼け雲で、逆さ富士のように小学校のプールに移ってシンメトリーになっていました。

これだけ大きい入道雲は珍しいです、はい。

 〈画面をクリックすると、富田林小学校の校舎越しの葛城山のむこうに出る入道雲が見れます〉

  関連記事:一発芸!すずきのような雲 2016.6.6.

  2018年8月30日 ( HN:アブラコウモリH )

ワニのような根っこ

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 2018.8.28.15.41.奈良県御所市宮前町 式内社(名神大社) 鴨都波(かもつば)神社

 神社の境内にワニのような木の根っこ。気(木)になりますね。

 〈画面をクリックすると木が見れます〉

    

関連記事:一発芸! おじさんの木!! 堺市南区片蔵 桜井神社 2014.5.10.

錦織公園の *ほほえむ幼児* の木 富田林市錦織 錦織公園 2014.12.3.

2018年8月30日 ( HN:アブラコウモリH )

 

狭山池からの日の出 2018.8.29.

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 2018.8.29.5:31 日の出とは関係ありませんが、西の空にあまりにもきれいな十五夜をちょっと過ぎた16.7夜の月が出ていたのでパチリ。少しずつ月没が遅くなります。

 

 5:40 まもなく日の出

撮影を開始してから4日目。きょうも東の空には雲が掛かり、条件はよくなさそうです。

 

 5:41 この島は浮いているのでしょうか? 鳥の休憩場所?

狭山池の資料には「揚水円筒」とありました。池の水質浄化に関係しているようです。

 

 5:42 二上山のむこう、雲間から少し顔を出した太陽。

 

 5:42 「あの雲、邪魔」と言っても、のいて(移動して)くれません。

 二上山のむこうの雲間からの日の出

 

 5:42 みなも(水面)が茜色(あかねいろ)に染まります。

 

 5:45 雲間からのぞく(覗く)太陽。

 

 5:47 朝焼け

 

 5:54 二上山も茜色

 

 5:55 日の出とともに

  

 5:54 一日の始まり、朝のウォーキング

  

 毎年2回、4月13日~23日と8月21日~31日ころに見ることができます。

関連記事:狭山池からの日の出 2018.8.28. 2018.8.28.

狭山池からの日の出 2018.8.27. 2018.8.28.

狭山池からの日の出 2018.8.26. 2018.8.27.

2018年8月28日 ( HN:アブラコウモリH )

 

狭山池からの日の出5 2018.8.30.

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 2018.8.30.5:02 大阪狭山市岩室 狭山池 標高82m 結構高い位置にあります。

東(ひんがし)の 野に炎(かぎろい)の 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ

これは万葉集の柿本人麻呂の有名な歌(万葉集48番)ですが、その情景がぴったり当てはまります。

 

 4:59 飛んでいるのはコウモリ! 私のハンドルネームと同じ、そこらじゅうによくいるアブラコウモリです。早朝や夕暮時に飛んでいる虫を食べにやってきます。最近では駅前の街灯などにも夜間でも見ることがあります。

原則明るくなるまでが活動の時。明るくなるとすみかに帰っていきます。

 

 5:02 日の出40分前

日の出を待つ東の空は時の移ろいとともに、いろいろな変化を見せてくれます。

 

 5:29 かなり明るくなってきました。

 

 5:37 雲も焼けてきました。

 

 5:41 空も池も茜色。まもなく日の出です。

 

 5:41 出ました。中央ピッタリ。

 

 5:41 すぐに昇ります。全体が見えるまで3分。

 

 5:42 これ以上は露光オーバーで写せません。

 

 5:49 朝日を浴びてきょうもトレーニング。

 

5:52 行ってらっしゃい。 

 

 5:53 おまけ 狭山池のキジトラ

〈画面をクリックするとキジトラがふりむきます〉

  

 毎年2回、4月13日~23日と8月21日~31日ころに見ることができます。

関連記事:狭山池からの日の出4 2018.8.29. 2018.8.30.

狭山池からの日の出3 2018.8.28. 2018.8.28.

狭山池からの日の出2 2018.8.27. 2018.8.28.

狭山池からの日の出1 2018.8.26. 2018.8.27.

2018年9月1日 ( HN:アブラコウモリH )

 


狭山池からの日の出6 2018.8.31.

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 2018.8.31.5:10 日の出30分前。東の空の雲が気掛かりです。

 

 5:39 そろそろ日の出。二上山付近が明るくなってきました。

 

 5:39 うす雲が掛かっていますが、きょうはご来光が望めるかな?

 

 5:41 二上山と龍神社

まもなく日の出ですが、うす雲が掛かったまま...

 

5:42 たぶん出ているはず...きょうはここから日の出。

 

5:44 雲間をぬけて日の出。すこし右にずれているので、左に動きます。

 

5:44 太陽の右斜めへ昇るにつれて、左方向に移動します。

 

5:44 コシノヒガン桜に囲まれて

 

5:45 北堤 狭山池博物館と二上山

 

5:53 だいぶん昇りました。

 

5:34 狭山池の真南に岩湧山(左 897m)と南葛城山(右922m)

 

5:34 南葛城山はここから見て有名な岩湧山の後ろ南南西にあり、岩湧山に隠れてよく見えないため大阪ではあまりなじみのない山ですが、実は和泉山脈の最高峰です。ここ狭山池からは見ることができます。

葛城山は実は5つもあります。

和泉葛城山・大和葛城山・南葛城山・中葛城山・金剛山(かつては葛城嶺とか葛木岳とか呼ばれていた)

古代有力豪族であった葛城氏の勢力がここまで及んでいたのか、役行者 が法華経八巻二十八品を埋納したとされる経塚(葛城二十八宿経塚)が金剛山地と和泉山脈に広く分布しているからなのか...

 

5:21 西堤 暗いうちからトレーニング

 

14:17 昼間の狭山池 暑い!トレーニングする人いない! 

 

13:06 パノラマ写真 トレーニングする人、ひとりもいません!

  

 毎年2回、4月13日~23日と8月21日~31日ころに見ることができます。

今回の狭山池からの日の出は、今回で最終です。9月1日は雨天。

関連記事:狭山池からの日の出5 2018.8.30. 2018.9.1.

狭山池からの日の出4 2018.8.29. 2018.8.30.

狭山池からの日の出3 2018.8.28. 2018.8.28.

狭山池からの日の出2 2018.8.27. 2018.8.28.

狭山池からの日の出1 2018.8.26. 2018.8.27.

2018年9月1日 ( HN:アブラコウモリH )

 

葛城古道をゆく6 一言主神社と九品寺

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 2018.8.21.16:16 奈良県御所市森脇

一言(いちごん)さん(一言主神社)の東、森脇地区に立派な鳥居と石灯籠がありました。

 

 16:19 鳥居を越えて参道を一言さんに向かって歩きます。

途中美しい田園風景。ここで取れるお米は吐田米(はんだまい)といって、おいしいお米やそうです。

吐田地区は旧吐田郷村(旧名柄村、豊田村、森脇村、宮戸村、西寺田村、多田村、東名柄村、増村、関屋村)で、ここで作られるお米を吐田米と呼んでいます。

品種は、アキタコマチ・コシヒカリ・ヒノヒカリで、金剛・葛城山から流れる花崗岩層で浄化された清水と上質の砂質壌土により育てられる減農薬有機米とのこと。

 きれいな景色とおいしいお米やね。

 

 16:27 一言さんの次の鳥居が見えてきました。この辺からは杉並木が続きます。

 

 16:28 鳥居の傍らに蜘蛛塚

ヤマト王権の草創期に、恭順しなかった抵抗勢力を記紀は「土蜘蛛」と呼んでいます。このあたりの抵抗勢力に関わる塚と思われます。髙天彦(たかまひこ)神社周辺にもありました。

 

16:37 参道の階段を上がると拝殿です。 

 

 16:34 案内板『貴重な遺跡』にへばりつくアマガエル

 

 16:45 葛城一言主神社 拝殿

祭神は2柱

葛城之一言主大神(かつらぎのひとことぬしのおおかみ) - 主神。

幼武尊(わかたけるのみこと) - 第21代雄略天皇。

 

 扁額には「式内大社 葛城一言主神社」と書かれています。

 『日本書紀』・『古事記』によれば、雄略天皇が葛城山中で狩猟をしていた際、天皇と同じ姿の一言主神が現れ、「吾(あ)は悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言離(ことさか)の神、葛城の一言主の大神なり」と神力を示したということです。葛城の一言主の神の出現を天皇が体験したという内容ですね。

このため「一言(いちごん)さん」の名で親しまれ、願い事を一つだけ聞いてくれる神様として、全国にある一言主大神を祭神とする神社の総本社といわれています。

 

 樹齢1200年といわれる乳銀杏(ちちいちょう)

 

境内にある松尾芭蕉の句碑

『やまとの国を行脚して、葛城山のふもとを過るに、よもの花はさかりにて、峯々はかすみわたりたる明ぼののけしき、いとど艶なるに、彼の神のみかたちあししと、人の口さがなく世にいひつたへ侍れば、

猶(なお)見たし 花に明行(あけゆく) 神の顔 』  

松尾芭蕉 『笈の小文』より

『笈の小文』は貞享4年(1687)10月に江戸を立ち、尾張・伊賀・伊勢・大和・紀伊を経て、須磨・明石を遊覧した時の紀行文で、松尾芭蕉著。宝永6年(1709)刊。

 

 亀石  確かに亀に見えるかも...

 

 17:20 一言さんをスタートしてしばらく歩くと、第二代 綏靖(すいぜい)天皇の葛城高丘宮(かずらきのたかおかのみや)趾の碑がありました。

宮の伝説地は『和名類聚抄』に見える大和国葛上(かつじょう)郡高宮郷と見られ御所市森脇周辺と推定されています。

 

 17:22 途中に楢原(ならばら)休憩所

 

 17:24 大和三山の畝傍山と耳成山がよく見えました。

 

 17:23 九品寺まであと500m 一言さんから九品寺は高低差もさほどでなく、歩きやすいです。

 

 17:28 道の脇にさりげなく...

 

 17:29 民家の石垣はやはり花崗岩だけ。

 

 17:33 そうこうしているうちに九品寺(くほんじ)

奈良時代、僧行基によって創建されたと伝えられる浄土宗の寺院です。

 

 山門前の六地蔵 1

 

  山門前の六地蔵 2

 

 横穴式石室のような祠の地蔵さん

 

本堂に至る参道 斜交(はすか)い上がるところがいいですね。

 

  「南無阿弥陀佛」六字名号碑

 

 本堂横の墓地

板碑の右の、お団子二並びのような丸い石、これなんでしょうね?山の向こうの南河内ではあまり見かけません。

 

 古そうな板碑 真ん中は「南無阿弥陀佛」の六字名号板碑

この地域によく見かけますね。

 

 畝傍山から昇る虹

 

 さりげなく三体仏

 

 お花を手向(たむ)けられた古そうな地蔵さん

 

 本堂裏に千体石仏があり、そこに至る坂道にも石仏が並んでいます。

 

 

 風化したのかもともとそうであったのか、顔立ちのよくわからないデフォルメされたような石仏群

 

 坂を登りきるといきなり小さな五輪塔群

 

 例の丸石群もありました。なんでしょね、これ。

 

 本堂の裏には圧倒的な千体石仏。

 

 九品寺は中世には御所城主楢原氏の菩提所でした。

楢原氏は南北朝の戦いのとき、南朝に味方していた楠木正成公のため一族を引き連れて参戦しています。その戦いに行くとき、一族は身代わりのため石仏を彫って菩提寺だった九品寺に奉納したのが、いまに伝える千体石仏だそうです。

 

 南北朝の時代なので、もうかれこれ680年ほど経っています。

 

 お二人の石仏も多く見られます。

 

 戦いに行くときの身代わりの石仏として、夫婦の石仏を納めたのでしょうか?

 

 なにかかなしい戦いを物語るようです。

 

 17:54 九品寺を少し北に行くと番水時計がありました。これは次回の葛城古道7でお話します。

 

 18:27 時間的にこれ以上先には行けないと思い、引き返し出発点に戻りました。

 雄大な夕焼け雲と虹が出迎えてくれました。

 

 18:39 振り返ると葛城の峰に、夕焼雲

 

 18:45 黄昏迫り、茜増す。

 

 18:53 赤入道と稲穂

関連記事:葛城古道をゆく1 高鴨神社の灯籠 2018.7.5.

              葛城古道をゆく2 髙天彦神社周辺 2018.7.24.

              葛城古道をゆく 3 極楽寺→南郷 2018.8.10.

                           葛城古道をゆく4 井戸、佐田地区 2018.8.18.

              葛城古道をゆく5 名柄の町 2018.8.23.

写真撮影:2018年8月21日

2018年9月2日

 

台風一過 虹が出現(二重虹が)

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上側の虹は薄いですが、確かに二つ出ています。

半径はどのくらいあるのかな?

「二重虹」は、幸福の虹だそうです。

「二重の虹」って見たことありますか?二重の虹を見ると幸運の前兆だと世界中で言われています。虹を見つけるということだけでも珍しい事なのに2重の虹が見られるなんて究極のラッキーですよね。

だそうです。

自宅のガレージの屋根が風にあおられていて、ヒヤヒヤしていましたが取り合えず無事で良かった。

近所の人たちとワイワイガヤガヤ言っていた時に、現れた「二重虹」でした。

2018/9/4 18:00頃 辰じいでした。

台風21号の爪痕

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報道でも大きく取り上げられた過去最高の台風21号は、身近な所でもその爪痕を残しております。常識では考えられない爪痕を小生が撮影した写真の一部を紹介します。2018.09.04.・05撮影

 

激しい横雨と強風で漆喰の壁が剝がれ落ちている。

直進の信号機が無い、横路に信号機が90度回転している。お巡りさんも大変だ‼(金剛大橋)

ここも直進信号機が横むいている。横路からはどの信号機に従えばいいのかな⁉(昭和橋)

大木が道はをふさいで、前に進めない。(彼方奥の谷)

人工林も強風には耐えられなかったのかな‼ (彼方奥の谷)

2018.09.05  kusu

国際ワークキャンプ大阪富田林2018ー1

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国際交流の一環として「国際ワークキャンプ大阪富田林2018」がNICE(日本国際ワークキャンプセンター)・富田林の自然を守る会主催、後援富田林市・富田林市教育委員会で、期間8月30日~9月13日まで開催されております。今年のキャンパーはロシア・アメリカ・ポルトガル・NICEの若者たちが参加しております。富田林での国際ワークキャンプは1999年夏から毎年開催し、今年で二十周年を迎えております。小生が参加して撮影した写真の一部を紹介します。2018.08.30~09.06 撮影

スギ、ヒノキの人工林の間伐現場、間伐した所は地表に緑地が見える。

なお、長靴・ヘルメット・革手袋等は「コメリ緑育成財団」のご支援を受けております。

20周年を迎え先輩キャンパーが残した、メッセージボード、歴史の痕跡。

9月1日の午前中は雨のための、テント内で、薪作り。なお、薪小屋、ヘルメット掛等は全て間伐材・竹を利用。

 

 

夜は雨も上り毎年「サークル若駒」の皆様の歓迎太鼓、キャンパー、参加者の子供たちが飛び入り参加。

歓迎太鼓の後、自然を守る会会長、富田林市副市長の挨拶が有、大勢の方々が参加され所狭しと盛大な歓迎会で有った。

今回は、9月1日までの様子を紹介します。続きがまだまだあります。次回もよろしくお願いいたします。

2018.09.07 kusu

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